歴史ミステリー

28. 太地家では正月には赤飯は炊かない

母方の太地家では正月には赤飯を炊いてはならないという
言い伝えがある。
これは母から聞いた伝承である。

その昔、太地の村(今の和歌山県東牟婁郡太地町)ではお正月には
どこの家でも赤飯を炊いて祝う風習があったという。

ある年の正月のことである。
深い傷を負ってしかも腹を減らした貧乏侍が
この太地の村に立ち寄った。
当時はどこの家でも赤飯を炊いてかまどからの
煙が昇り美味しそうなその臭いは
空腹で傷だらけの侍にとって喉から手が出るほど
たまらなかったに違いない。
当然のごとくこの侍はすきっ腹を抱えて
少しでもと物乞いよろしく少しめぐんではもらえないかと
太地の家々を訪ねた。
しかし見慣れない侍に抵抗を示す村の人たちは
誰一人というこのあわれな侍に正月の赤飯を
分けてやる者はいなかったという。
侍は一軒一軒を訪ねて物乞いをしたのだが
誰もめぐむ者はいなかった。

そして侍は力尽きて村を流れる川で亡くなり
下流にはこの侍の血が真っ赤に染まって流れたという。
そしてそれ以来太地の村では正月に赤飯を炊くと
川の水が真っ赤に染まるということである。

以来、太地家では正月に赤飯を炊くことはご法度に
なったということである。

これは私の母から聞いた話で太地家だけに伝わる不思議な話でありどの文献にも載っていない。