歴史ミステリー

27. 太地家に伝わる仏像

私の母方は太地角衛門を継承していた和歌山県太地町の鯨取りの網元である。
15代だか続いた捕鯨の名門であり太地町には今も30基以上のお墓が残っていて
従姉が大切にお守りしていて墓自体が日本遺産に指定されていて
観光地となっている。
これは私の祖父であり最後の太地角衛門を名乗った頼松が体験した話である。

この太地家に伝わる不思議な仏像の話がありこれは
実話である。

私の祖父である太地角衛門頼松が和歌山県のある山中に分け入ったときの
ことである。

頼松はあるとき生い茂る山の中に横たわるある一体の仏像を見つけた。
普通ならそのまま拾い上げて持ち帰るところなのであろうが
さすがに昔の人はここから違った。
頼松はこのような山の中での仏様を見つけて大変驚き、
「はは~っ!!今日はこんなむさ苦しい格好をしていますので
お許しください。後日改めましてお迎えにあがります!!」と
何とその日はそのまま帰宅してしまった。
後日、頼松は約束どおり紋付袴(はかま)の正装に着替えて山中の
仏像のところまで行ってうやうやしく仏像の前に膝まづき
お迎えに上がりました!どうぞお越しください。」と
口上を述べて仏像を持ち帰ったとのことである。
 
この話は私が亡き母から聞かされたものであるが
単なる伝承であろうと感じていた。
あるとき叔父が亡くなりその葬儀のために
叔父の家を訪問したときのことである。
叔父の家の上段にその仏像が奉られていて
母はそれがその仏像であることにすぐに気付いて
「はは~っ!!」とその仏像を見るや否や仏像の前に
平伏したので話は実話であることが私もわかった。
 
その後、ごく最近従姉にこの仏像の消息を尋ねたところ
本家に返却されて本家(太地家)の未亡人が大事にお祭りしているとの
ことであった。
さらに頼松はこの仏像を大変大事にしていて
毎朝、仏像にお水をお供えしてお参りしていたとのことである。
頼松の子供が顔にアザができて困っていたところ
仏像にささげている水を顔に日々塗ったところアザはたちまちのうちに
消えうせたとのことである。

ここまでとなると本当なのかとは思うが山中で見つけた仏像を
紋付袴(はかま)の正装で迎えにあがるとは
現代の私達ではできない発想でありまるで日本昔話を聞かされているようである。

私はこの話を聞いてて祖父の仏を敬う心に好感を持つとともに祖父を心から尊敬している。
私は幼いときにこの祖父に母に連れられて一度だけ会ったことがあり
母の話によると祖父は私のことを頭の良い子だと褒めてくれたとの
ことである。
太地家には昔からこの家だけに伝わる不思議な話が数多く残っている。
少しずつ紹介していきたい。