歴史ミステリー

26. 解体新書

解体新書とは誰もが日本の歴史で習う有名な医学書で
杉田玄白前野良沢ターヘル・アナトミアという蘭学の
医学書を翻訳して出版したことが知られています。
実はもう一人幕府お抱えの医師・中川淳庵の3人によって
翻訳されました。

杉田玄白はあるとき偶然、オランダ語のターヘル・アナトミアを
借り受けてその挿絵を見て自分達の知っていた人体構造図と
全く違うことに非常に驚きます。
その数日後に腑分け(解剖)が公開されると聞き
自分のその場に言ってみるとターヘル・アナトミアに書かれている
人体構造図と実際の人体がほぼ同じであることにまた
驚き感動します。
その場に前野良沢もいて彼も同じくターヘル・アナトミアを
入手して持っていました。
これは運命であるに違いないと前野良沢の提案で共同して
翻訳を試みることになります。
このとき前野良沢は49才。杉田玄白は39才であったと
言われています。
そこに幕府お抱えの医師・中川淳庵33才が加わっての
3人で翻訳を始めました。

ところが最初は3人ともオランダ語はほとんどわかりません。
前野良沢は長崎でオランダ語を少し学習して700語ほどの
単語と簡単な文法がわかりますが
中川淳庵はアルファベッドがわかる程度で
杉田玄白は全くオランダ語はわかりませんでした。

前野良沢が今でいう中学生ほどの英語の知識もなくって
IBM の英文マニュアルを読むようなものです。
私は英文マニュアル程度は理解できますが
CNNのニュースの文章はほとんど不明です。
それほど学生のときに習った英単語と実際に
使われているCNNの単語とは差があるのです。
いかに彼らにとって難しかったものか
想像に難くありません。

しかし彼らは人体図に描かれた部位を示す用語を
調べてオランダ語の語彙を増やしていき
意訳・義訳・直訳という方法に種別して翻訳の
効率を上げたということです。
翻訳作業は3年半もかかったということですが
辞書もない状態で始めたとなると
むしろ驚異的な速さです。
一ケ月に6回ほど集まって共同で翻訳したとの
ことです。
一日に一行しか翻訳できなかった日もあったと
いいますがそれは遅くはないと思います。

さて3年半後の努力の後、ようやく完成とはなりましたが
当時は鎖国の状態で海外情報の公示はご法度の時代でした。
しかし杉田玄白は中川淳庵が幕府お抱えであったことから
完成した解体新書をまず第10代将軍徳川家治に献上して
お墨付きをもらいさらに時の実力者田沼意次にも
献上して許しを請うなどの十分な根回しに努めました。

しかしここで前野良沢がまだ翻訳が十分ではないと
主張したところから著者の名前から前野良沢を
外して出版することになりました。

出版後、解体新書は大変な人気を博し一躍のベストセラー
となります。
杉田玄白は出版の30年後に隠居して解体新書の
思い出などを「蘭学事始」として著します。
悠々自適に晩年でした。
一方の前野良沢はオランダ書物を買い込んで
人が訪ねてきても会わず一人オランダ語の翻訳に
没頭しますがそれらを出版することはありませんでした。
彼はひっそりと最期を迎えました。

杉田玄白は前野良沢のことを「天然の奇人」と
評していました。
今に残る杉田玄白の画はしわだらけのこれこそが
奇人と思えるような老人であったのに対して
前野良沢の画はやさしい温厚そうな人物に見えます。
皮肉なことに人物像はまるで反対です。
 杉田玄白
奇人の前野良沢は不幸な人生に終わったのでしょうか?
余裕のある余生を送った杉田玄白に対しても
前野良沢もまた燃焼し切った満足した人生で
なかったでしょうか?
どちらも本人にとって頑張り抜いたよい人生であったと
思います。
 前野良沢
私は今、パネル・グループ(PNLGRP)オブジェクトの解析という
リバース・エンジニアリングを続けていますが
これもまた辞書という仕様書をもたずに
翻訳(解析)を続ける解体新書の翻訳と
同じことのように思えます。
オブジェクトの構造をIBMが公開しているわけではないので
地道にその構造を論理的に推測し続けるしかありません。

絶望と希望の繰返しです。
解けたと思えばすぐに次の絶望がやってきます。

ひとつ言えることは五里霧中の中をさまよい続けた彼らは
その中においても結構楽しかったのではないかということです。
私は杉田玄白や前野良沢の気持ちがわかる数少ない一人なのだと
思います。

約250年後の私も彼らと同じことをやっているのだという
不思議な気持ちにならざるを得ません。