歴史ミステリー

25. 麒麟はこない

本能寺の変を再考する機会もあってさらに気付いたことがある。

[備中高松城の戦い]


本能寺の変の前日に森蘭丸からの使者として光秀に届いた
命令はご存知のとおり、
 
 「出雲・石見の二カ国を与えるがその代わりに、丹波と近江の志賀郡を召上げる」

というものであった。
出雲・石見(いわみ)は毛利の最も奥に位置する所領であり毛利を滅ぼさなければ
到底手に入らないというのは和議の条件を出しているのに
この話は矛盾していると説明した。
既に備中にいた秀吉が毛利側に提示している講和条件は五国割譲として
備中・備後・美作・伯耆・出雲の割譲を要求と一致していない。
備中・備後・美作・伯耆は今の岡山県であり出雲だけが島根県の地域である。
石見(いわみ)は島根県のはるか西部に位置する。
加えてもうひとつ非常に大事な説明を追加したい。
それは

 石見には日本最大の銀の産出の

石見銀山(いわみぎんざん)

がある。

このことは大内氏、尼子氏の支配のころから良く知られていて毛利氏の財政の
要でもあった。
さて足利義昭に対して近畿の多くの所領よりもの支配だけを望んだ織田信長の話は
有名である。の貿易と富を支配できると考えた信長の経済感覚の鋭さからは
当然のことである。
その信長が日本最大の銀の産出量を誇る石見銀山を光秀に与えることは
絶対にしないのは明白である。
江戸時代のおいても金の産出がある佐渡島は徳川幕府の直轄としていたように
信長がたとえ毛利を滅ぼしたとしても石見銀山を光秀に与えることは
絶対にない。

従って「石見を与える」と言ったこの使者の話は真っ赤なウソであり
この使者は偽者であることは明らかである。

この使者の話は光秀に希望を失わさせてそれならばと謀反に突き進むように
仕向けたものである。
言うのであれば

「丹波と近江の志賀郡を召上げるが代わりに出雲・石見の二カ国を与える」

と言わないだろうか?
この発言の趣旨は「召上げる」ということをが主文である。
これで光秀が頭に血が登ったのだろう。

光秀は謀反の直前に備中に鉄砲を先に送っている。
従って直前までは謀反の意はなかった。
また事前に考えたものであれば

 ・信長だけでなく嫡男の信忠も同時に襲撃するはずであるが
  していないのは事前に部下と謀議したものではなく
光秀の個人的な思いつきである。

 ・「ときは今「雨が下なる五月かな」と詠んだ句が謀反の意図であるという
  諸説があるが事前に謀反の意図を周囲の人間に匂わせるような
愚行はしないだろう。
  この連歌の会でのこの歌には謀反の意図はない。後からのこじつけである。

・光秀は行動の前に必ず部下を手配して様子を探らせる行動パターンを取るが
(そのおかげで秀吉に本能寺の変を知らせてしまうことになった)
それほど根回しと計画性のある光秀が謀反の後の行動は全くの無計画であり
  謀反の17日間は秩序なく動き回っているだけである。
  これほど事前の段取りを怠らない光秀が謀反の後の17日間の
無計画な行動はおかしい。
黒幕がいればその後の行動は計画されていたはずだし
  黒幕と連絡を取り合っていたはずだがその痕跡もない。
従って黒幕はいない。

 ・光秀はそれまでに朝倉義景と足利義昭と二度、主君を裏切っている
この使者を光秀に差し向けた人物もそれを知ってのことであったのだろう。