歴史ミステリー

20. エピローグ 本能寺の変

この推理は結論をはじめから予想したものではなく
理論的に推理を進めていった結果浮かび上がってきたものである。
決して初めからこのような結論になるように
話を進めたのではない。
順を追って「なぜ」を追いかけていって見えてきた結論である。

史実しか見ないのではなく数少ない史実から

論理的に導き出される定理もまた史実と同じ

信じるに足る価値の
あるものである。

多くの学者が正しいと信じることが真実なのではない。

理論的に証明されるものが真実なのである。

本能寺の変のミステリー解明には多くの人が
出版などしているが論理的に解明されたものはなかった。
ある工学部出身の人は理論を持って解明すると
挑んだが結局は感じたものの羅列にしか過ぎず
家康の計画であるとかとんでもない結論に
到達していた。
歴史の大家と称して歴史番組にも数多く出演している
歴史家も信長が人前で光秀をしかったから、などと
子供じみた理由を挙げていた。
結局は彼らは学習していない。
理論や解析の積み上げがない。
今まで発表されている「説」とやらを見ていると
あまりにも幼いので今回これを発表するに至った。

これは私の功績でも何でもない。
今回の本能寺の変のミステリーはどんなプログラマーが
推理しても同じ結論に到達したはずである。
ただ誰もやらなかっただけである。
プログラマーは毎日もっと難解な問題のデバッグに
明け暮れている。
今回のミステリーはそんなに難しいものでは
なかったはずだ。

歴史こそ論理の目を持って解明していかなければ
ならない。

そのときに本当の歴史の意味が見えてくる。