歴史ミステリー

19. 最終章 本能寺の変の真相

本能寺の変も論理的に解明していくと意外な事実として
ニセの「領地召上げの命令」が光秀に届けられたのではないかと
推理が固まってきた。

それでは誰がこのストーリーを仕組んだのだろうか?
ポイントは「領地召上げの命令」と秀吉の示していた毛利陣営への講和条件の
ちがいである。

毛利陣営へ示した講和条件 光秀に出した領地召上げの命令
備中・備後・美作・伯耆・出雲の5ケ国 出雲・石見の二カ国

光秀に示した新しい領地は「出雲・石見の二カ国」であるが
実際に交渉していたのは「岡山の5ケ国」である。
つまり事実とは凡そかけ離れた光秀の希望を失わせる領地として
光秀に示さなければならない。
それには現在の状況を精緻しておかねばならない。

(付け加えておくと歴史家が領地替えはめずらしくはないというのなら
どうして肝心の前線で戦っていた秀吉には領地替えの話は
なかったのだろうか?)

さてこの過酷な条件を考えた人間は講和条件を知っている人間である。
講和条件を確実に知っているのは信長は当然として秀吉。
じゃ秀吉が犯人かというとそうではない。
講和条件を知っているもう一人は敵方陣営である。

本能寺の変の黒幕は誰だ?という話になるとたいていが
家康? 足利義昭? イエズス会? 近衛前久(さきひさ)? いやいや秀吉?
とかが挙げられるが肝心の人が抜けている。

肝心の人が抜けてはいませんでしたか?

それは今、信長陣営が戦っている

敵方

であろう。
信長自らが出陣して一番困るのは家康?足利義昭? イエズス会?秀吉?
これらは味方陣営ばかりである。

信長自らが出陣して一番困るのは敵の毛利陣営だろう。
光秀と敵陣営は組まないのは当たり前としても
一番困っているのは敵方の毛利陣営であることは明らかである。
なぜ歴史家の皆さんは敵陣営のことに頭が行かなかったのだろうか?

これをもし考え出したとしたら
毛利陣営によほどの策略者がいるかもと思って調べてみると
一人いた。
本能寺の変で得をしたのは秀吉以外にももう一人いた。

安国寺恵瓊(あんこくじえけい)である。

このとき秀吉の交渉の相手は安国寺恵瓊という
僧にすべて一任されていた。
つまり敵方陣営でこの講和条件を知っていたのは
安国寺恵瓊ただ一人だけであったのだ。

安国寺恵瓊は元々武士であったが毛利元就によって滅ぼされてからは
出家して(紅葉で有名な)京都の臨済宗の東福寺の僧となった。
東福寺で仕えた僧恵心が毛利隆元と親交があったために恵瓊も
毛利氏と親交を持つことになった。
それからは毛利家の家臣として渉外の役割りを果たすようになり
秀吉との交渉役も務めることになった。

また恵瓊は

「秀吉という男は大した奴だ。次に天下を取るのは秀吉だろう。」

と秀吉の天下を予測していたという。
当時の次の天下は信長ではなかったのか?
恵瓊は信長の天下は長く続かず次は秀吉であると予測していた。
交渉の途中で秀吉の器量を高く評価していたのだ。

本能寺の変の直後、秀吉は恵瓊にだけは信長の死を打ち明けて
備中・備後・美作・伯耆・出雲の割譲と清水宗治の切腹で
和議を結んだ。
秀吉はその直後にあの中国大返しとして引き返すのだが
毛利方が信長の死を知ったのはその翌日であった。
恐らく恵瓊が伏せたのであろう。
戻る秀吉勢を毛利方の吉川元春はこれを追撃することを
主張したのだが恵瓊が和議を結んだのだからと言って
これを引き止めた
それどころか恵瓊は秀吉に毛利の旗をいくつか持たせて毛利も味方に
なったかのように見せかける工作を手伝った。

安国寺恵瓊ならば京の出身であると毛利氏は大坂の石山本願寺
長く支援していたので関西には強力なルートを持っていたのは
当然である。
情報さえあればニセの使者を仕立てることくらい
恵瓊にとってはリスクもなくできることである。

秀吉はこの恵瓊の支援に厚く恩義を感じ、臣下に取り立てて
四国征伐などの交渉役も秀吉陣営として行って

秀吉から6万石の大名に取り立てられている。

さらに恵瓊は実は

関が原の合戦で毛利を総大将

にするなどの
黒幕として手腕を発揮している。毛利を西側の総大将にして
関が原の合戦の裏で暗躍していたのが恵瓊であったのだ。
毛利の天下を狙ってはならぬという家訓を破らせて総大将に
ならせたのはやはり恵瓊であったのだ。
タダの坊主ではない。
関が原の合戦の後では恵瓊は石田光成らとともに首謀者として
斬首されている。
相当なしたたか者である。
この人物が毛利側にいたのだ。しかもたった一人の毛利側の交渉役の人物である。
無関係なわけはないだろう。

こんなとんでもない策士が敵側にいて本能寺の変に無関係である
はずがない

おうおう

状況証拠は揃いすぎている

恵瓊が光秀を使ってオウン・ゴールを画策したとして不思議はないどころか
このストーリーを描けたのは恵瓊しかいない。
恵瓊が後年、フィクサーは自分であると白状するわけはない。
そんなことをすればたちまち秀吉に殺されてしまうからだ。
証拠を残していないことが余計に恵瓊の存在を浮かび上がらせる。
しかし思い通りに本能寺の変になったことは
恵瓊も内心で最も驚いたのではないだろうか?

恵瓊は本能寺の変の真相は墓の下まで持っていくしかない。
証拠はなくても犯人がその人しかしなければ最高裁判所でも
十分有罪判決が降りている。
恵瓊が描いたストーリーに光秀がまんまと乗ってしまったというのが
本能寺の変の真相であろう。


[最終定理: 本能寺の変は安国寺恵瓊が描いたシナリオである]

 

・信長の遠征に最も困っていたのは毛利陣営

・毛利陣営でただ一人のすべてを知る交渉役である。

 ・京とのあいだの密接な連絡網を持っている。

 ・本能寺の変で得をしたのは秀吉以外では安国寺恵瓊だけ

・秀吉の次の天下を本能寺の変の前に予測していた

 ・関が原の合戦など策士として関わった人物

99%以上の確率で状況証拠として恵瓊の描いたストーリーである。

….本能寺の変の真相もこうしてようやく真理が見えた。

  安国寺恵瓊が描いたシナリオに見事、光秀が見事にハマッてしまったというのが
どうも真相のようである。(それしかない)
恵瓊もしてやったりという快感であったろうが400年以上後に論理的に解明されるとは
驚いただろう。
恵瓊も「ついにバレたか?!(笑)」と苦笑いしていることだろう。
本能寺の変の真相はこうして

歴史学者ではなくプログラマーによって解明された。