歴史ミステリー

12. 本能寺の変 プロローグ

これまで見てきた歴史ミステリーはこの本能寺の変を解くための
いわば前置きに過ぎない。

本能寺の変ほど諸説入り乱れている歴史ミステリーは少なくない。
近世の出来事であるので古代に比べれば比較的史料も残っているし
その後の歴史もわかっている。
多くの歴史学者は大量の残された書物や史料を読み漁っているはずなのに
それらを無視していきなり唐突に

「信長は光秀をいきなり叱りつけたので光秀は謀反を決心した」とか
「平氏の流れを汲む信長が将軍になるのが許せなかった」

 何の脈絡もなく言い放つ歴史学者に私は同意はできない。
また歴史書に記述があっても

「信用できない。」

とか

「信憑性がない」

と根拠もなく主観で言い放つ歴史家も
どうだろうか。

「たとえ真実であっても…」

とその後に続けるのは
 いかにもその人の主観だけで判断しているしかないことを示している。
それではあなたの今まで学んできた歴史とは何だったのですか?と
言いたくなってしまう。

光秀も1万人以上の兵を持つ指導者である。
子供ではないのだ。歴史家は光秀を見る目があまりにも
短絡すぎる。
上司に少し怒られたくらいで会社を辞めますという若い新入社員とは
訳がちがうのだ。
 修羅場を潜って来た立派な大人であることを忘れてはならない。
歴史は流れとして論理的な考察によって解析すべきである。

[これまでの歴史学]

     ...史実のみを真実の対象として扱う

     (史実1), (史実2), .... (史実N) ---->私は思う(主観的な推論に過ぎない。
                           史料があっても信じない場合ある)

[論理歴史学]

 ...史実を定義と扱い、そこから導かれる定理を積み重ねる。
                   定理は史実と同等の真価とみなす。
                   客観的な推論をベースにしている。




毎日、デバッグに明け暮れるプログラマーも感じているはずである。
そこで本能寺の変の真相をプログラマーの目で論理的にデバッグして
いきたいと思う。

本能寺の変の解明は既に公表されている説を紹介するのではなく
わかっている史実から次の「定理」を論理的に考察して証明していきたい。
すると誰もが納得できる本能寺の変の真相が浮かび上がってきた。

大河ドラマを始めとするTV番組や歴史家の書物を読むよりも
真実がわかるということは本当に痛快でもある。
真相はこれまでのどの説とも一致しないものであった。

 邪馬台国論争が意外な結末であったように本能寺の変のミステリーもまた
それ以上にドンデン返しの結末が待っていた。
それでは次回より本能寺の変のミステリーの解明を始めよう。