歴史ミステリー

9. なぜ幕末は若い人材が活躍できたのか?

戦国時代の武将の活躍していた年齢は暗殺された信長は49才。
これは途中半ばで亡くなったのだから仕方がないとしても
秀吉は享年62才。家康は享年73才。

皆、活躍のピークは当然高齢である。
ところが幕末では大成奉還のときの年齢を調べてみると

 

氏名 生年 年齢
坂本龍馬 土佐藩 1836 33才
西郷隆盛 薩摩 1828 39才
小松帯刀 薩摩 1835 34才
勝海舟 幕府 1823 44才
岩倉具視 朝廷 1825 42才
大久保利通 薩摩 1830 37才
木戸孝允 長州 1833 34才
後藤 象二郎 土佐 1838 29才

現代の若者世代は30才を過ぎて初めて就職するという人が
多くなっている中で二条城で徳川慶喜に大成奉還を建白した
後藤 象二郎はなんとまだ29才で土佐藩の参政として
事実上の土佐藩の運営を行っていた。
小松帯刀34才の若さで薩摩藩の家老で薩摩藩の運営責任者で
あった。

大河ドラマでも後藤 象二郎が土佐藩主山内容堂の許可も
受けずに坂本龍馬から大量の鉄砲を買い付けているシーンが
あったが一体なぜ若い重職たちがこのよに活躍でき
権限もあったのだろうか?

それは江戸時代の藩政の実務はすべて老中などに任せて
藩主は細かなことには口は出さないという風潮であったからである。
これは商人も同じでよく時代劇に出てくる商店では
番頭さんが店先で算盤を弾いているシーンがよくあるが
店の運営実務はほとんどを番頭が仕切っていて
旦那連中はほとんど口を出さずに任せきりであった。

ちなみに面白いのはこの時代は店頭には商品のならぶ
陳列棚はなく客の求めに応じて奥から商品を出してくると
いった具合である。

さて大成奉還のときには土佐藩主山内容堂40才
まだ引退するような年齢ではなかった。
明治時代になってからは新政府の議定を務めるなど
要職に就いている。
大河ドラマで近藤正臣演じる山内容堂は迫力があったけど
年齢オーバーだったかも。
このように江戸時代は若い老中などに実務は
任せきりであったことが明治維新の原動力になったことは
間違いない。

ところで若き志士達の活躍で藩主の座を降ろされてしまった
藩主達はどうなったかというと

木戸孝允は毛利藩主と道で偶然出会って
「申し訳ございません!!」と涙を流して土下座して謝罪したと
いうことである。
 一方、島津久光は「おのれ西郷め!!」と怒りまくっていたとの
ことである。

これはある福井県のホテルの仲居さんが実際に話してくれた話であるが
 そのホテルでは今でも時々当時の全国の大名の子孫たちが
集まって親睦を深めているとのことであった。
なんでも大名は版籍奉還で土地や財産は没収されたのだが
江戸で参勤交代のために住んでいた大名屋敷はそのまま
与えられたとのことである。
そのため結構な財産を保有している人が多く今でも
集まるという話を30分以上聞かせてくれた。