数学とは何か?

3. なぜ数学がわからなくなるのか?

多くの人が数学を学校で学んでいるはずなのに
難しいと感じて理解できなくなってしまう時期がある。
それは高校時代である。
小学校、中学校と順調に学習を続けていたはずなのに
突然、高校の数学では難しさを増す。
授業のスピードがそれまでとは打って変わって速くなっていると
感じる。
目の前に新しい数学の概念が次から次へとめまぐるしく
展開されて息つく暇もないほどである。

小学校での数学(算数)の授業は単純なトレーニングだけである。
計算の手法を学んでそれを繰返しレーニングする場である。
中学に入ると関数など新しい概念を少しずつ学ぶように
なるのだがそれでも中心はやはりトレーニングである。
小学校から中学へと数学とは繰返しトレーニングすることであるとの
イメージを持っていた学生は高校生になると
面食らってしまう。
いきなり新しい概念といや応無しに向き合うことになるからである。

ここでなぜわからなくなるのだろうか?
教える側の教育者や教育課程では高校の数学では

(1)定義を宣言して

(2)その応用をいきなり展開していく

ここに問題がある。
安心していい。わからなくなるのは教育を受ける学生に原因があるのでは
なく原因の大半は教え方の問題である。
人間は

(1)定義を聞いて理解して

(2)次に応用できるほど

単純で機械的にはできていない。
教科書もむこのパターンであり理解を助けるための何の説明も
ただの一行もない。説明を繰り返すこともいっさいしない。
人間はAIではないのだ。
一度聞いただけでわかるものではない。
理解する方法が必要なのである。
特に数学を理解するための重要な方法を紹介しよう。
これはソフトウェアの学習も同じことであって

(1)論理で理解して

(2)感覚で身につける

ことである。つまり
(1)論理で理解するという左脳での理解と
(2)感覚やイメージで覚えるという右脳での記憶の
両方が必要である。
ところが教える側は(1)の説明しかしないので到底身につく理解は
できない。
感覚的に言えばこのようなものだとの説明は決してしないのだ。
この理由は

(1)感覚やイメージに訴えてしまうと理解が狭くなる。

(2)一般的に考えさせるためにはあえて例や感覚的なものは持ち込まない。

(3)具体的なものは数学からは下世話なものとされている。

のような理由から決して具代的なイメージを説明することはない。
しかし考える範囲を狭めてしまう危険性を危惧することより
学生に理解させることを優先するのが教育というはずである。
もうひとつの理由は残念ながら優秀な高校の教育者が少ないことである。

知るところによれば近所のある高校では偏差値が35の大学の卒業生が
その高校の生徒に講師として数学を教えていた。
偏差値35というのは失礼ながらゴルフのハンディ36と同じで
これ以上下はないというレベルである。
このような教育者では教えられるほうが理解が進まないのは
当然であるが優秀な教育者が確保されていないのも現実である。

説明したきたように高校で数学への理解が進まないのは
決して学生だけのせいではない。
論理で理解して感覚で覚えるという手法を教えなかった教育側に
かなりの責任はあると思う。
教育側はそれは教えずに自分で体得するように期待しているだけである。
ほんの少し時間を割いて教えれば理解は格段と進むはずである。