歴史ミステリー

23. 橋爪啓の残した伝承・滝の拝太郎

和歌山県古座町(=今の古座川町)の叔父は郷土史家で歌人であった。
長年、中学と高校の教職や校長を務め新しい橋ができると命名したり
学校の校歌を作詞するなどいわゆる地方の名士であった。

この叔父の橋爪啓が和歌山県古座川町役場に書き残した古座川町伝説史話である。
今日、和歌山に住む従姉・山崎史子氏出版の本の中より
叔父・橋爪啓が書き残した伝承を紹介する。

橋爪啓 1908-1991

橋爪啓は文豪佐藤春夫の遠戚にあたる。佐藤春夫は秋刀魚の歌で知られる明治大正昭和を
活躍した弟子3000人を持ったと言われる文豪である。
石原慎太郎が佐藤春夫に芥川賞を自分に与えて欲しいと手紙で懇願しているが
佐藤春夫の評価は厳しかった。佐藤春夫は石原慎太郎を文豪とは認めなかった。
しかし生前、橋爪啓も佐藤春夫を良くは評価していなかった。
佐藤春夫は若いときに慶応大学を中退して故郷の新宮で
同棲していたからである。
橋爪啓は大変潔癖で真面目な性格であったが優しくてユーモアにあふれた
幼い時を語る少年のような人であった。
それゆえか多くの親族縁者から慕われていた。

[その1] 滝の拝太郎

昔、小川に滝の拝太郎という釣り好きな男が住んでいた。
    ある日、滝に釣りに行ったときのことである。
    魚を釣っているうちに誤って刀を滝壺に落としてしまった。
    急いで服を脱いで裸になってもぐったのだが刀はようとして見つからない。
    するとしばらくもぐっている内に洞穴を見つけたので
    その中に入って見て拝太郎は大変驚いてしまった。
    中には大きな男と可憐な小娘がいてその娘が大きな男の背中にに
    お灸をすえているのだ。
    太郎はあっけにとられてその光景をしばらくじっと眺めていた。
    やがて娘が太郎に気付いたようでこちらへ振り返った。
    太郎が何か言おうとすると娘は何も言わないようにと
    仕草で示した。
    娘が太郎のところに近づいてきて「どうしたのですか?」と
    尋ねるので「刀を落としたんです。」と答えた。
    すると「あなたの探しているものはこれでしょう。」と
    太郎に刀を渡した。
  そして「何も言わないで帰りなさい。」と言ってその娘は
    奥のほうへ戻っていってしまった。
    奥では大男が様子を察して娘をしかっているようなので
    太郎も何も言わずにそのまま家に帰った。

  家に帰った太郎がすぐに何気なく家の中の暦を見て驚いた。
  その日は自分が釣りに行って刀を落とした日から 7日後に
    なっていたのだ。
  わずか半日ほど不思議な滝壺の中にいただけなのに
  戻ってみると 7日も経過していたのだ。

これは浦島太郎伝説と同じようなものであるが
この話は続きもあって場所も特定されていて結構信憑性のある
伝説である。
7日後というのがいかにも生々しい。

この伝承を伝える「五輪の塔」という大きな石碑が滝の上に
あったということだが今はすっかり無くなってしまったという
ことである。
和歌山県古座川町に伝わる伝承である。

…. 叔父の詩人橋爪啓は地元に新聞などに昔話を何度も
寄稿していたが多くは太地家に独自に伝わる話であり
不思議な話は叔父や小職の母からも何度も聞かされた。
いずれ紹介するつもりでいたが今日、従姉が編集した
雑誌が届いたのでその中から従姉の了解を得て紹介したような
 次第である。

和歌山県古座川町在住の山崎史子著による雑誌「微笑み」