歴史ミステリー

17. 信長が犯人を言い当てている

信長が犯人を言い当てている

さて問題の6月2日の早朝4時ごろに表の騒ぎで信長は始めは喧嘩などの騒ぎと思ったようで
調べさせたところ部下の謀反であるとのことであった。
このとき信長は最初に

    

「城之介が別心か?!」(息子の信忠の謀反か)

 

とまず夕べ遅くまで久しぶりに親子で酒を酌み交わした息子を第一に疑っている。
これこそが本能寺の変のミステリーを解決するSSLの鍵である。

信忠とは信長の嫡男で自分の実の息子である。
いろいろと話をしたはずの息子を真っ先に疑っている。
  これによって信長の真意と本能寺の変の真実を類推することができる。
  本能寺の近くにいる軍勢は息子の信忠の500名だけだと信長は
思ったのでこのように発したのだろう。
信長が最初に発したこの言葉こそが誰が犯人であるのかを信長自身が語っているのに
誰もこの重要な言葉に注目していない。
さらにその後で「明智の軍勢と申し受けます」と森蘭丸から聞くと
有名なあの言葉

「是非もなし」

と続くのである。
是非もなし」とは「どうしようもない。意味がわからない」と意である。
信長は心外であり相当驚いているのである。
つまり光秀の謀反には思い当たるところもなければ、どうしようもないと
叫んでいるのだ。
信長は「私は光秀が謀反を起こしたとは思っていない」と言っているのと同じだし
「光秀に謀反を起こさなければならないほどひどいことをした覚えはない」と
言っているに等しいのだ。

先に信長は領地召し上げの非情な命令を出した冷酷な男であると解説した。
信長は謀反人がなぜ光秀であると疑わなかったのだろうか?
実の息子さえも真っ先に疑う信長が非情な命令を下した光秀を真っ先に疑わなかったのは
おかしくはないだろうか?
光秀への非情な命令を信長は何とも思っていないほど冷酷だったのだろうか?
息子を疑うほど猜疑心の強い信長が光秀を初めに疑わなかったのは
もしかして信長はこのような非道な冷酷な命令を出した覚えがなかったのではないだろうかと
思えてしまう。
整理していくと

①信長が領地召し上げの命令を出した覚えがなければ自分が光秀に恨まれる覚えもなく
光秀を疑わなかったのは無理もないしむしろ当然のことである。
普通なら「おのれ光秀めが!!」というべきところを「是非に及ばず」は
信長の狼狽ぶりを示している。
信長は最期までなぜ光秀が謀反を起こしたのか自分でもわからなかったのだろう。

②先に書いたようにこれはほとんど勝てる戦いであったので光秀をそこまで追い詰めて
戦わせる必要は何もなかった。援軍を見せるだけで勝てる戦いであったはずである。
勝てる戦いに信長がわざわざ光秀に後から使者を送ってハッパをかけるのは
誠に不自然で説明がつかない。

③信長が出陣することは決まっているのにワン・ポイント・リリーフの光秀に領地召し上げまでの
プレッシャーを掛けて追い詰める必要はどこにもなかった。

④領地召し上げの命令がなければ信長は光秀にとっては楽な仕事だと思ったはずである。
従って光秀が自分を恨むことなぞあり得ない。

⑤領地召し上げの命令はおかしくはないか?

秀吉が交渉していたのは岡山県の5ケ国であり
領地召し上げの命令で光秀に与えられるという所領ははるかかなたの島根県である。
秀吉の交渉は信長の命令であるはずなので不一致なのはどう見てもおかしい。
歴史学者はここでも領地代えは珍しくなかった、と何の疑問も示していない。
    これこそが信長が出した命令ではないことを示す証拠である。
信長が出した命令であれば和議の条件と同じ内容であるはずであるが
和議の条件とは全く一致していない。

    光秀も和議の条件を知っていたかもしれない。たとえ知らなくても
毛利領のはるか奥が自分に与えられる領地ということは今までの戦いからすると
到底なし得ない目の前が真っ暗となったにちがいない。
そのとおりであって岡山に領地替えでは光秀を追い込むことにはならない。
この命令は光秀に到底、達成不可能であり希望を失わせるための仕組まれた命令である。

さて言われた光秀の気持ちになってみよう。
当時、武田領を落とすのに何年要しただろう。
武田親子の代までかかったのだ。上杉は子の代になっても未だ落とせていない。
大阪の石山本願寺では10年以上要した。長島一向一揆や比叡山延暦寺殲滅も容易ではなかった。
ましてや強力な軍勢を持つ毛利を全滅させるのに一体どれくらい
かかるのだろう? 当時としては気の遠くなる目標に思えたに違いない。
島根の所領を得るには毛利を壊滅させてしまわねばならないと思うと気が遠くなる。
凡そ達成不可能な目標に思えたに違いない。
光秀にとってはこれを聞いたとたんに目の前が真っ暗でどうしようもなく落ち込んだに違いない
    一方でこの使者が恐らく信長が本能寺にいることを伝えたに違いない。
こうして本能寺の変の首謀者は、この命令と甘い香りのする情報によって謀反の伏線を引いたのだ。
    謀反のキッカケとなるアメとムチを同時に与えたのだ。
    「おお、そうか?!」と光秀は好機を見出したと思った。
光秀はこれを千歳一遇のチャンスと喜ぶべきではなかった。
あまりにもできすぎた話と疑うべきだったのだ。決して好機などではなかった。
ここで光秀は完全に術中にはまってしまったのである。
残念ながらあまり深く考えない光秀の性格と追い詰められた状況が短絡的に謀反の道へと
誘うことになってしまったのである。
この人はどうも真面目だが単純な性格だったようだ。

領地召し上げ + 本能寺で無防備 = 謀反の好機 !!

⑥最大の疑問は命令そのものにある

「出雲・石見の二カ国を与えるがその代わりに、丹波と近江の志賀郡を召上げる」

という命令は不自然そのものである。
例えば

    「あなたの言うこともわかるが私の案のほうが正しい。」

   という文章と

「私の案が正しいとは思うがあなたの言うこともわかる。」

という文章を比べてみてどうだろう。
話し手の真意は「あなたの言うことはわかる」か「私の案が正しい」の
どちらであろう?
前後を逆にしただけで真意も全く逆になってしまう。
後ろに来た文書のほうが真意である。
英訳してみれば明確であるが
Though ….、…….
と本文は後ろに続いている文である。
つまりこの場合であれば
   「出雲・石見の二カ国を与える」よりも
   「丹波と近江の志賀郡を召上げる」のほうが真意であり本文である。
つまり「新しい領地を与える」ことよりも「領地を没収する」のほうが
真意であって光秀にもそのように伝わったはずである。
「新しい領地を与えるから頑張れ」ではなく「領地を没収する」が
信長からの伝言となる。
歴史家は「領地替えはよくあった。珍しいことではない。」などと
現実感覚のない評論をしているが出陣直前のこんなときに
こんな話をしますか?しかもこの文章のおかしさに気付かなかったのだろうか?

この伝言は何の前触れもなくただただ光秀を追い詰めるだけの
意図が込められていることがよくわかる。

⑦光秀はこの命令を自分が丹波に戻ってから使者によって受け取っているのだが
信長は安土城を出たあくる日には本能寺に行っているのだ。
どこでこの命令を出す時間があったのだろうか?

⑧誰が信長が本能寺にいることを教えたのか?

信長が安土城を出る前に光秀は丹波に戻っている。
しかも先にも説明したように信長の京の常宿は本能寺ではない。
   信長は妙覚寺20回本能寺にはこの日を入れてもわずか4回しか
泊まっていない。
本能寺に泊まる機会はむしろ少なかった。

… 以上の理由により信長は領地召し上げの命令を出していなかったと仮定すると
つじつまが合ってきてそれぞれの事象を説明することができる。

①信長は楽な出張命令を出しただけだから感謝さえしてもらえども光秀に恨まれる筋合いはないと
感じていたので光秀をよもや疑うことはなかった。

②光秀は戦う必要もなく援軍の姿を見せるだけで毛利側はもはや和議に応ずるしかなかった。
毛利側には戦う弾薬は残っていなかったことは毛利輝元が書状に書き記している。

③光秀の家臣が料理を安土城のお堀に捨てたという話は嘘である。
安土城には堀はないのだから。したがって信長をこの時点で恨んでいたということにはならない。

④毛利と交渉している土地と光秀に与えられる所領が一致していないのはこの命令(の話が)信長から
出たものではないことを示している。(ここがポイント !!)
信長が言うのであれば交渉中の備中3国を恩賞として示すはずではなかったか?
この話は信じられないと証拠もなく言う歴史学者がいるが
それではなぜこんな不自然なかけはなれた話が出てくるのか?
史実だからこそ不思議と思える話が残っている可能性が高い。
創作であれば和議の案と話を合わせるはずである。
第一、楽に勝てる戦で光秀をそこまで追い詰めて戦わせる必要は何もなかった。

  ⑤信長が本能寺で少人数の部隊だけでいることは信長からの使いの者が
知らせたに他ならない。

— つまり領地召し上げの命令は出ているが信長が出したものではないと仮定すると
これらすべてを説明することができる。
  光秀が丹波に戻った後に森蘭丸からと称して偽の使者が領地召し上げの命令を信長からの
命令として光秀に伝えたのである。そして信長が小姓たちだけで本能寺にいることも
知らせた
のである。
  光秀はこの使者の存在を疑うことはなかった。
少し冷静に考える人間が周辺にいればこのおかしな命令を疑うことができたはずである。
光秀は信長に対して従順であり比叡山の焼き討ちにもあるように残酷な命令であっても
主君信長の命令とあらば忠実に従ってきた。
それゆえ信長の命令と聞かされば疑うことなく信じたのであろう。

偽の使者が偽の命令を光秀に伝えて追い込んで本能寺に信長がいることを
  教えて光秀を謀反にそそのかした。

 

信長はそこまで非情な命令は発していなかった。
信長はなぜ光秀が謀反に走ったのか理解できずわけのわからないうちに自害することに
なったのだろう。

一番驚いていたのはやはり信長である。

被害者は光秀ではなく信長だったのだ。