歴史ミステリー

4. 坂本龍馬暗殺の真犯人は?

それではもう一度近江屋事件の刺客について整理してみよう。

・犯人は捕縛ではなく殺害の目的を持って龍馬たちを襲撃している。

・大組織の犯行であれば取り囲む人数をもっと用意していたが
少人数での犯行である。

・犯行声明を出していないのは

-卑怯者とのそしりを受ける

-指揮命令系統に基づいた犯行ではなく自分達の勝手な行動によるもの

のいずれかと考えられる。

・十津川郷士と名乗れば龍馬が油断することを知っている。

・龍馬の潜伏先が近江屋であることを知っている。

・龍馬が殺されたのは大成奉還のわずか1ケ月後でこれが影響している可能性は高い

などが挙げられる。

初めは私も「卑怯者とのそしりを受ける」ということを考えると
刺客は龍馬の味方、つまり薩摩藩などが怪しいと考えていたのだが
犯行声明を出さない理由は組織の指揮命令系統ではない
勝手な犯行とも考えることができる。
桑名藩主松平定敬の命であれば大儀名文があるが勝手な犯行となれば
許されることではないのでおいそれと公言することができない。

見逃してはならないキーは「十津川郷士」である。
犯人達は十津川郷士と名乗れば龍馬が油断することを知っていた人物である。
また当時は龍馬は今ほど有名ではなかった。
龍馬が大成奉還に関わる重要な役目を果たしていたと知っていたのは
ごく限られた人物のはずである。

龍馬は寺田屋事件で多くの手紙や書類を残してしまった

ので
幕府に重要な人物であることが知られてしまっている。
しかしこのことを知っているのは幕府でも少ないはずである。

 幕府側の犯行とすれば伏見奉行所からこの連絡が行ったのは
京都守護職つまり京都見廻組の可能性は高い。

龍馬が大成奉還に関わっていたと知る反幕府側は木戸孝允、西郷隆盛など
一部の幹部らだけである。
つまり

反幕府側で知っていた人物は少ないが幕府側はこれを取り締まる側なので
組織全体に知られていた可能性が高い。

さていよいよ核論に迫るのだが大成奉還は幕府側にショックを与え
体制の崩壊を意味するわけであるから大成奉還に寄与した人間には
恨み骨髄となるのも無理はない。
自分達が一瞬にして無価値な人間になってしまうわけである。
幕府側は大成奉還に関わった人物に敵意を抱いて亡き者にしようと
画策するが木戸孝允、西郷隆盛らは身の危険を感じて即刻、自分たちの
国へ帰ってしまった。
残っていたのは坂本龍馬だけである。
大成奉還に反対するからといって殺したのでは大儀名文は成り立たない。
藩主の命令であれば命に従ったまでと公言できるが
組織の命令ではなく勝手にやったのでは公言はご法度である。

龍馬はあまりにも無防備であった。

寺田屋の女将であったお登勢からも「狙われており危ない」との手紙を
受取ったり当日も土佐藩から戻ってきた藩士に2階の窓から声を掛けている。
殺されたこの日だけでもいろいろな人が訪ねてきている。
中岡慎太郎もその一人で龍馬が近江屋にいたのはかなり有名で
あった。
 しかもこの時期、龍馬は勝海舟の上司である永井玄蕃を頻繁に
訪ねている。永井玄蕃の居宅は見廻組の屯所のすぐ近くである。

 さて十津川郷士とは十津川の藩士であるが御所の警備を任されていたことも
あって龍馬もよく知っていた。
刺客が十津川郷士と名乗ったことにより同じ十津川郷士の中井正五郎は
天満屋の紀伊藩士三浦休太郎を龍馬殺害の仕返しとして襲撃している。

龍馬伝では中尾彬扮する三浦休太郎が龍馬が明光丸との衝突の交渉の最後に当時まだめずらしい
万国公法という航海の法律を持ち出して紀伊藩を驚かせて「おまえ、一体何者や?!」と
言わせたのは迫力ありました。俳優中尾彬もすごい役者です。

ここまで推理を進めていくと

大成奉還に恨みを持って十津川郷士と龍馬が親しいことを知っているある組織の
一部が勝手に暴走した

ことが想定される。
それは

京都見廻組の組織の一部

紀伊藩の組織の一部

京都見廻組だけが歴史学者によって言及されており京都見廻組全体の犯行と
言われているのは間違い。公務ではない。
公言できないのは組織の一部の勝手な暴走による犯行と見なすべき。
そういう意味では紀伊藩の組織の一部による可能性もある。
いくら

紀伊藩がいろは丸の賠償金を払ったとしても紀伊藩全体がシロと
いうわけではなく

一部の暴走による犯行の可能性を考えれば
紀伊藩による可能性も残されている。
賠償金を払っているからといって紀伊藩の全員をシロと見るのは
単純すぎる。

ただし紀伊藩が十津川郷士のことを良く知っていたのかといえば不明。
十津川とは今では和歌山県内である。

[結論]

京都見廻組の一部組織による単独犯行が有力。

(命令系統による組織的なものではない)

ただし紀伊藩の一部

による暴走の可能性も捨てきれない。

 

…いかがでしたか? 坂本龍馬暗殺のミステリーは?

京都の霊山護国神社には木戸孝允(桂小五郎)が作った幕末志士たちの
お墓の山があります。(木戸孝允は明治政府に貢献しましたが病没)
京都に訪れる機会があればぜひ坂本龍馬のお墓にお参りください。

坂本龍馬のお墓には

    日露戦争の開戦前夜、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の夢に
坂本龍馬と名乗る見知らぬ侍が現れて

「私が日本海軍をお守り致しますのでご安心ください」

と告げたと
書かれています。
皇后は側近に「龍馬とは誰ですか?」と尋ねて龍馬の写真を見せられて
初めて坂本龍馬であることを知ったそうです。

私も龍馬のお墓に「この日本を救って頂きましてありがとうございました」
と両手を合わせました。