歴史ミステリー

31. 王政復古のクーデターと西郷隆盛

明治天皇が天皇制を復活させると宣言したことが
どうしてクーデターになるのか歴史を習ったときに
いつも不思議でならなかった。
クーデターというのは反体制側が暴力などによって
政権を転覆させることをクーデターであると
理解していたのに単に体制側にいる天皇が御所で
天皇制を宣言したところでそれがどうして
クーデターとなるのか学校では教えてもらわなかった。
最近になってYouTubeなどの動画を見ていると
まだ公武合体つまり旧幕府精力と尊皇攘夷派の
混在している中で尊皇攘夷派つまり新政府が和が
旧幕府精力側の公武合体側を御所の外に締め出して
自分達だけで宣言したということでクーデターと
呼んでいるようである。
 

■ 八月十八日の政変とは逆の王政復古のクーデター

この逆側をやったのが「八月十八日の政変」である。
このときは薩摩藩と会津藩が中心となって
尊皇攘夷派の長州藩と三条実美らを御所から追い出してしまった。
その逆パターンが王政復古のクーデターである。

■ 小御所会議を恐喝した西郷

京都御所に行ったことのある人であれば大極殿の右奥にある
小御所という建物があるのを見たはずである。
これがあの明治の始まりの最初の会議が行われた小御所である。
ここで徳川幕府の領地召上げや徳川慶喜の処遇が会議で
決められた。
急な話であるので出席していた土佐の山内容堂からは
慶喜も会議に出席させるべきであるとの猛反対があった。
これに岩倉具視が猛反論した。
激論を交わすうちに休憩を挟むことになったが
この休憩のときに西郷は

 

「短刀ひとつあればことは済む」

と話したことに後藤象二郎はそれを聞いて恐れおののいて
自分の殿が殺されてしまうと感じて山内容堂の意見を
抑えさせたということである。
その結果として西郷らの意見を押し通したのである。
 

■暴力と裏工作を好む

この日本を左右する重要な会議の席で「殺せば済むこと」と
言う西郷の言葉をどう思うだろうか?
この男はいつも好戦的で自分の殿である島津久光に対して
「あんたは田舎者だからわからん」と馬鹿にしたり
話し合いの場を意見の違う相手を暴力や殺人で恐喝するという
姿勢はとても尊敬できるものではない。

とかくこの人物は裏工作を好む傾向にあり浪人を雇って
江戸市中に放火や乱暴狼藉を働かせて無理やり
戊辰戦争に仕掛けたのも西郷の計画である。
上野に銅像があるのも彰義隊との戦争の結果である。
朝鮮との話し合いによる国交回復ではなく朝鮮との
開戦を画策したりとか裏工作には枚挙に暇がない。
それは最後まで一環して変わっていない。