橋爪 啓

4. 橋爪啓の熊野

従姉の山崎史子女史が彼女の父である橋爪啓(はじずめひらく)の偉業を
まとめた小冊子「

橋爪啓の熊野

」を出版したので
紹介する。

■ 橋爪啓・略歴

橋爪啓氏(旧姓・太地)は明治41年(1908)和歌山県東牟婁郡下里村
(現・那智勝浦町下里)に生まれ昭和2年(1927)和歌山師範学校(現・
和歌山教育大学)を卒業後、小中学校や高校の教諭を長年務め
そのかたわら短歌・国文学・郷土史において数々の業績を
残した和歌山県を代表する文化人である。
昭和7年(1932)橋爪みきえと結婚して古座町に住み
古座と古座川をこよなく愛することになる。
文化・文明への造詣の深さはもちろんであるが
親戚一同からの信頼の厚さには定評があり
一族からの尊敬の念を集める存在でもあった。
和歌山在住であったが時折は数時間もかけて
大阪まで出向いて妹たちや娘の生活ぶりを
何くれと心配して見回っていた。
年とった妹の家には和歌山の片田舎から
食べ物などを送ったり世話を焼いていた。
大阪に出向いては妹に小遣いなども渡していた。
自分自身も年老いているのにである。
橋爪啓氏の葬儀の席で初めて知ったことであるが
遠縁の縁者が遊郭でさんざん遊んで支払いが
できなくなって帰れなくなったそうである。
それを聞いた橋爪啓氏が遊郭に出向いて
すべてを支払ったそうである。

周りの尊敬を集めるのは当然の人であった。

小職も叔父・橋爪啓氏の影響は大きく
お前も教職に就きなさいと幼い頃から
よく言われたものである。
 
毎日新聞の毎日歌壇への投稿では三度の特選と850回の入選を
果たしている。

■佐藤春夫との出会い

小説家・佐藤春夫氏とも懇親があり面談を重ね
佐藤春夫の執筆の中にも橋爪啓が登場している。
佐藤春夫は橋爪啓の縁戚と母から聞いたことがある。
母も幼いころは佐藤春夫の家に遊びに行ったと
聞かされた。
佐藤春夫は芥川龍之介と同じ新思潮派で
当時は弟子が3000人いたといわれている。
石原慎太郎が芥川賞を自分にくれるようにと
佐藤春夫に手紙を書いて懇願している。

和歌山県那智勝浦には佐藤春夫記念館がある。
佐藤春夫と言えば「秋刀魚の歌」

 さんま苦いか塩っぱいか。
 そが上に熱き涙をしたたらせて
 さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

…ただし橋爪啓氏は小職に佐藤春夫をよくは思っていないかのように
  語っていたのを覚えている。
佐藤春夫の同棲生活を真面目な橋爪啓氏は気に入らなかったようである。

■司馬遼太郎との出会い

また司馬遼太郎のNHKの取材で古座川を案内したことで
司馬遼太郎を自宅に招いて食事を振舞ったと山崎史子女史より
聞いたことがある。
NHKも当時、司馬遼太郎を和歌山県に案内するとなれば
今から考えれば和歌山県随一の文化人となれば
橋爪啓をおいて他にはなかったであろう。
それほど文化人として橋爪啓は有名であった。
このころの橋爪啓は突出していて
新しい橋が出来るとその命名を頼まれたり
世界遺産となる地域の学校の校歌も頼まれて
作詞したりしていた。

■和歌山随一の文化人

小職の父の葬儀のときにも橋爪啓氏が参列してくれたが
義兄と話をすると日本のほとんどの神社の縁起を
橋爪啓は知っていて横で聞いていて小職も驚いたことが
記憶に残っている。
和歌山では楠方熊楠や松下幸之助が有名であるが
やがて橋爪啓も和歌山を代表する文化人として
脚光を浴びる日も来るだろうと思う。

・小冊子「橋爪啓の熊野」

  熊野の歌
しおさい
  古座神話
古座・古座川
  古座峡
  古座川を讃える
  古座川と小川
河内橋考
  古座川史話、海老薬師の由来
  府県木の選定
  古座の文化財
木の葉神社
弓場龍渓
  かさね山
  樹霊
  橋爪啓の先祖
橋爪啓略歴

・編集は従兄の太地亮氏であり発行人は山崎守雄・史子による。

… ほとんど多くのページが古座町について語られている。
和歌山県古座町は潮岬を過ぎたところにある渓流・古座川を
中心に開けた町である。
清流・古座川は今でも上から眺めてみても川底や鮎の泳ぐ様子を
見ることができる美しい川である。

・橋爪啓の代表作「しおさい」

  ふるさとの    浜辺に立てば
  まなかひに        那智の山見ゆ
  むらさきに        冬も霞みて

  磯山を      超えて来ぬれば
    蟹浦は      椿咲くなり
  しほさいの        どよめく中に
    椿咲きいつ

  ふるさとの        丘に登れば
  春浅み      太田川見ゆ
  四つ手網     風に光りて
  白魚舟      並む

  八尺鏡野の    径を行けば
    冬ながら          梅の咲くあり
    鳴き連れて        枝移りする
  めじろいたりき

  早春の            砂に芽ぐみて
  そを握れば        香にたちて
    ああ少年の日の  ふるさとの夢

  (昭和18年作)

…この歌は額に入れて長い間小職の家にも飾られていて
何度も暗唱したものである。
橋爪啓の歌には自然の情景を唄ったものが多く
自然描写に作者の情念を重ね合わせた美しい
表現に満ちている。

   読む者の目の前に自然が思い浮かぶような
自然な描写は読む者に安らぎを与える歌である。
橋爪啓は自分が詠んだ何千という歌の中でも
この歌だけを選んで自筆で書いた書を
親戚に自身で持参している。
自分としてもよほど印象に残る大作として
気に入ったようである。
   もちろん小職もこの歌は大好きである。

   この橋爪啓が自分で祖先のことをこの本の中で語っているので
次回はそれを紹介しよう。