数学は深く考える癖をつけるためのトレーニングのツールであると
これまで説明してきた。
そして自分がXになって間違えた問題こそが重要で
間違えた原因や思考の方法で足りなかった部分を補って
考えることこそ次のステップへの足がかりであり
成長へのヒントである。
プログラムでもデバッグで自分が気付かなかった原因を
深く考えることが重要である。
ここではどのような場面において考えなければならないかを
解説する。
(1)問題を解く前に十分考える
ある問題またはプログラムを作成するにしても
解法やプログラムのフローをひらめいた途端に書くのではなく
本当にそれで最後まで解けるのかを最後の締めくくりまでを
十分に考えることが必要である。
多くの人は考えるより解答を書くとかプログラムを書いたほうが
早いと思いがちだがそうではない。
途中で解答やプログラムの方針に誤りに気づいて
やり直すようなことでは何にもならない。
また無駄な時間を費やしてしまう。
最後までこれでいけると十分な確信を持ててから初めて
作業に取り掛かるべきである。
最後がわかるまで考えてから初めて手を動かすのである。
(2)問題を解く
先の解法前に十分な考慮があれば問題を解くことや
プログラムを作ることは迷いのない単なる力作業であるので
方針に不安もなくスピーディにできるはずである。
(3)解いた後も考える
これで解けた、解決したと思ってももう一度本当にそれで
よいのか考え違いや漏れはないのかを繰返し見直して
考える。
ここで考えれば漏れや考えちがいを取り戻すことができる。
多くの人は解けたと思うと安心してそれ以上考えないことが多い。
しかし他人から見てみると簡単な間違いを見逃していることに
気づかない場合がある。
第三者の視線で間違いや漏れがないかと考える必要がある。
(4)まだ考える
(3)までで十分考えたように見えることも時間を置いて見直して
見れば新たな視点が出てくるものである。
時間を置けばその場で考えていた思考方法も忘れてしまうので
自分自身が第三者になりきることができる。
そこでもう一度考えてみると新たな視点が発見されることが
多い。
確かに頭のよい人は短時間で考えつくものであるが
これは短時間で広くて多くのケースを想定することが
できる人は頭のよい人である。
しかし並の人間でも繰返し第三者になりきって考えることで
頭のよい人にも対抗できる。
3人寄れば文殊の知恵という諺は3人集まって考えれば
多くの視点から考えることができることを意味している。
私が自分が決して頭はよくないと承知しているが
繰返し考える時間を持つことによってかろうじて
頭のよい人に追いつけると信じている。
ニュートリノを発見した東京大学のノーベル賞受賞の物理学者小柴昌俊氏は
「考えて考えてさらに考え抜く」と言われた。
建築家の安藤忠雄氏は「寝ているあいだも考える」と言った。
しかしこれらはごく当たり前のことである。
夢の中で考えて間違いに気づくことやアイデアをひらめくことは
めずらしいことではない。
ある山の中で一人で住んでいる人は「山の中で一人で生活するには
想像力が要る」と述べていた。
なるほどと思う。
ある哲学者は「哲学ほど考えることが面白い学問はない」とも
述べていた。
考えるということはそういうことである。